歴史を繋ぐ
- HOME
- 歴史を繋ぐ
KOTOHIRA-GU 金刀比羅宮
海の神、商売繁盛、
万能の神として
信仰をあつめた
金刀比羅宮。
その伝統と歴史は
琴平花壇と共に。
「こんぴらさん」の愛称で親しまれる歴史ある神社。主祭神として祀られているのは、大物主神(おおものぬしのかみ)と崇徳天皇。「金刀比羅の大神様」とは、この二柱の総称。特に大物主神は海上安全の守り神であり、商売繁盛など、万能の神としても広く厚い信仰を集めています。
THE HISTORY OF KOTOHIRA KADAN 琴平花壇400年の歴史
江戸前期・1627年に金刀比羅宮の参道沿いに旅籠屋として創業。1905年(明治38年)に16代目当主三好源次郎により全室離れの料理旅館として、「琴平花壇」は開業しました。回遊式和風庭園を囲むように、別荘地のごとく離れが点在する光景は優雅なものでした。参拝に訪れる文人墨客をもてなすとともに、多くの絵師や書画家を逗留させ、支援していた形跡も多く残ります。
そして現在。老舗ならではの伝統と風格はそのままに、近代建築を調和させた宿として、約400年の歴史を繋いでいます。
亀井藤兵衛の版画
WOODBLOCK PRINTS
BY KAMEI TOBEI
来館の記念品としてお客様に贈呈していた亀井藤兵衛の木版画。琴平山や琴平花壇の景観、町並みを描いている。
琴平花壇 年表 CHRONOLOGY
1627 (寛永4年) |
旅籠屋「備前屋」創業 |
---|---|
1904 (明治37年) |
日露戦争が始まる(~1905年9月) |
1905 (明治38年) |
16代目三好源次郎が、料理旅館として別邸「琴平花壇」開業 |
1908 (明治41年) |
森鴎外、琴平花壇に宿泊 |
1909 (明治42年) |
森鴎外、短編小説「金毘羅」を発表 |
1931 (昭和6年) |
与謝野晶子、与謝野寛(鉄幹)、琴平花壇に宿泊 |
1935 (昭和10年) |
北原白秋、琴平花壇に宿泊 |
1936 (昭和11年) |
吉井勇、琴平花壇に宿泊 |
1939 (昭和14年) |
井伏鱒二、琴平花壇に宿泊 |
1951 (昭和26年) |
長生殿を香川県多度津町から移築・政府登録国際観光旅館21号に琴平花壇、登録 |
1953 (昭和28年) |
高松宮殿下、琴平花壇に宿泊 |
1964 (昭和39年) |
東海道新幹線開通・東京オリンピック開催 本館を鉄筋建築に改装・大広間完成 |
1970 (昭和45年) |
日本万国博覧会が大阪で開催・ 山翠閣を木造から鉄骨建築に改築 |
1975 (昭和50年) |
山陽新幹線岡山・博多間、開通 |
---|---|
1977 (昭和52年) |
大浴場・結婚式場完成、富士見台完成、山翠閣宴会場完成 |
1988 (昭和63年) |
瀬戸大橋開通・富士見台増築 |
2008 (平成20年) |
本館を「松月テラス」と名付け改装・ガーデンラウンジ、客室、貸切温泉露天風呂「なごみ湯」完成・富士見台改装・大浴場改装、露天風呂とサウナ完成・タイ古式マッサージの離れスパ開業 |
2012 (平成24年) |
山翠閣和室改装 |
2013 (平成25年) |
長生殿、延寿閣改装 |
2016 (平成28年) |
長生殿襖絵、鑑定 |
2018 (平成30年) |
富士見台リニューアル |
2019 (令和元年) |
山翠閣グランドリニューアル、温泉露天風呂付客室、貸切温泉露天風呂「杜の湯」完成・和室改装 |
2023 (令和5年) |
山翠閣に温泉露天風呂付客室を増室 |
THE HISTORICAL MATERIALS 宿に残る記録
開業時の明治期には、金刀比羅宮参拝のため軍の高官が多く宿泊。当時海軍中尉だった米内光政(後の内閣総理大臣)や、陸軍大将・乃木希典の来訪も伝わります。また、森鴎外、北原白秋、与謝野晶子、井伏鱒二など日本文学の歴史に名を残す作家や、皇族の方々の琴平ご訪問時にお立ち寄りになる宿としても知られる存在でした。
THE HISTORICAL MATERIALS 宿に残る記録
開業時の明治期には、金刀比羅宮参拝のため軍の高官が多く宿泊。当時海軍中尉だった米内光政(後の内閣総理大臣)や、陸軍大将・乃木希典の来訪も伝わります。また、森鴎外、北原白秋、与謝野晶子、井伏鱒二など日本文学の歴史に名を残す作家や、皇族の方々の琴平ご訪問時にお立ち寄りになる宿としても知られる存在でした。
松あおく
もみじは赤に
琴平の
花壇に逢いし
人は忘れじ
鴎外
著書である森鴎外の家族に、実際に起きた出来事をもとに執筆した自伝的小説「金毘羅」。主人公の小野は仕事で琴平を訪れ、金毘羅参りを勧められる。結局妻子恋しさに参拝せず帰京するが、案内された宿に琴平花壇が登場。事実、1908年に鴎外は陸軍省医務局長軍医総監として、衛生事務視察で来団し、三日間逗留。翌年「金毘羅」を発表。
館内「温泉大浴場 吉祥の湯」入口には、鴎外が滞在時に詠んだ一首を、書家・大河内暁水が書いたものを展示。
松あおく
もみじは赤に
琴平の
花壇に逢いし
人は忘れじ
鴎外
著書である森鴎外の家族に、実際に起きた出来事をもとに執筆した自伝的小説「金毘羅」。主人公の小野は仕事で琴平を訪れ、金毘羅参りを勧められる。結局妻子恋しさに参拝せず帰京するが、案内された宿に琴平花壇が登場。事実、1908年に鴎外は陸軍省医務局長軍医総監として、衛生事務視察で来団し、三日間逗留。翌年「金毘羅」を発表。
館内「温泉大浴場 吉祥の湯」入口には、鴎外が滞在時に詠んだ一首を、書家・大河内暁水が書いたものを展示。